都市計画家 松波龍一

街は歴史によって作られる。
と、他愛もない御託を述べてもしかたがないが、少なくともあなた一人のアイデアによって作られるのではない。

サッカースタジアム本体のことはともかく、その建設が予定されている広島市中央公園につい て見てみても、そのことがしみじみと実感できる。この年表は、主に中央公園と その周辺での主要施設の建設、廃止をまとめてみたものである。広島城の内堀内と、大手郭、西 の丸、三の丸が西練兵場と空き地になって以降、これまでの間に多くの変遷があった。都市計画 公園として計画決定された 1946 年から後をみても、テニスコートや旧児童図書館にはじまって 2024 年までに着手といわれている市営基町アパートの建て替えに至るおよそ 80 年間に、おびた だしい営為が積み重ねられてきた。そのどれもに多くの人がかかわり、その度ごとに様々な論議 と紆余曲折があったはずである。そのことには、敬意を表したい。

問題なのは、そこに一貫した目標像が感じられないということだ。つねに中央公園が広大な空 き地としてしか見られていなかったのではないか。今年の春に広島市が発表した「中央公園の今 後の活用に係る基本方針」では「都心に立地する広大な空間で、復興のシンボルであり、水と緑 の豊かな空間、多様な人々が集う交流空間である」として、「にぎわいの空間」「くつろぎの空間」 「文化を醸し出す空間」という前のめりの理念を掲げているものの、この空間を広島の資産とし て活かすために必要なのは、これまでの営為の総括に立った課題認識である。

結果的に、これまでの投資が豊かな回遊性を分断し続け、隣接する都心機能と乖離し続け、閉 鎖的な公園の中に様々な公園施設が脈絡なく無秩序に立地してしまった。そこで求められたのは、 個々の施設計画が拠り所とすべき大方針ではなかったか。平和公園、太田川、中央公園というオ ープンスペースの一体化、都心の県庁やリーガやバスセンターやそごうや本通りなどから自由にアクセスできる開放性、その開放性を通して都心機能を公園内に取り込んで境界線を消していく ような運動が必要であったと思う。そうしてはじめて「にぎわい」「くつろぎ」「文化」が自然な 形で生まれるのであって、個々の施設整備がそれを生むのではない。

サッカースタジアムの建設に反対ではないし、場所の変更も政治的リアリズムに欠けるのであ ろうから、あえて異論を唱えない。ただし、注文はある。少なくともそれが、求められる中央公 園の魅力化にどう貢献するのか、市営・県営基町アパートの跡地活用や商工会議所の建て替え、 紙屋町周辺の再開発動向などをどう総合的に見通したプログラムなのかを明らかにしてほしい。 それらが、タイミングが違うとか、所管が異なるとかという理由で無視されたのだとすると、こ れまでの紆余曲折の延長にすぎない。その結果、中央公園の都市空間としての劣化はこれまで以 上に甚大なものになるだろう。

 都市計画家   松波龍一