建築家 nest 高橋 幸子

一昨年の桜が咲くころ、父が亡くなり、実家の建物を受け継ぐことになりました。住宅供 給公社が売り出した鉄筋コンクリート造の平屋に、後になって木造の二階を増築した特に珍しくない昭和の家です。

父は、休日といえば家と庭の手入れをする人でした。作業着を着ているか、寝間着を着ているかのどちらかだったと言っても言い過ぎではありません。今日はあっちのペンキが剥げ ていると言って塗りなおし、こっちのコーキングが痛んでいるといって打ち直し、母の要望 で棚をつける日もあれば、庭の植木を剪定し、薬剤をまき、移植し。そして作業が終わると、 庭のベンチに座って煙草をふかしながら、今度はあそこの手入れが必要だなどと考えていた ようです。そして、冗談のように「我亡きあとは」と言ったものでした。

そして、その「我亡きあと」が現実のものとなり、私が家の所有者となりました。やむな く、あれこれ整理をしながら、棚を付け替えたり庭の手入れをしていると、父の作業の痕跡 がそこここに見えてきます。あまり要領が良くなかった父が、棚をつけるのに描いた鉛筆の あと、下手に補修された目地、裏の柵にのぼって生垣を剪定するときに使っていた命綱、な にかに使おうと取っておいた木端。なんとも思っていなかったそれらのものが、どういうわ けか今頃になって私に、父について、そしてこの家について考えさせるのです。

私は家を設計したくて、建築士になりました。いつだったか、自分の育った家を改修する かあるいは建替えるという課題を与えられた時は、嬉々として建替え案を提出しました。今 建っている面白味のない家とは一線を画す、なかなかの案だと思いながら。実際、建替える べき多少の理由を挙げることができます。しかし、不器用ながらいつも気にかけ大切にされ てきたこの家は、父が家族をどう扱ったかということをそのまま表しているような気がして きたのです。

家を設計するとき、私はこれから住む人についてできるだけ多くを知りたいと思います。 動物がそれぞれに合った巣をつくるように、人それぞれに合った家のあり方があると思うか らです。そしてそのような家が、その人の人生に大きく貢献するとも考えています。

そういいながら、父の家に住み続ける私は、なんだか貝殻を譲り受けたやどかりのようで す。いつの日か貝殻が私の家らしくなるのか、それとも私が貝殻に合わせるのか、そもそも 私に合った家というものを追求をしなくて良いのか、そういう疑念を抱きながら。 しかしおそらく、私がこの家を建て替えることはないだろうと感じています。