アーチスト 石原悠一

すでに作られた都市構造物と仕組みの中で私たちは生活している。
今後数十年もの先まで都市計画があり、感度高く生活しているつもりでも、その計画を俯瞰しながら暮らしていくことは難しい。だから結局は、作られたもののうち自分に接点のある部分にだけ関わって生きていくことになるのだと思う。
日々の生活には多くの制約があり、できることは限られる。
だから私は、“私と、私のまわりにいる人たち”の範囲でまちづくりに関わりたいと思っている。

広島市街地にある袋町公園では、毎年 11 月に「大イノコ祭り」が行われている。
広島を中心に中国地方と四国地方の一部で続けられている亥の子祭りが元になっていて、子孫繫栄や五穀豊穣、商売繁盛などを願う祭りである。
1990 年代に大イノコ祭りの原型となる祭りが何度か行われたが、資金難などを理由に途絶えたらしい。それから月日は過ぎ、10 年前に復活。
1年目の「イノコ大福フェスタ」という名前は、2年目に「大イノコ祭り」に改名した。
広島市中央部商店街振興組合連合会や NPO 法人セトラひろしま、社会福祉協議会、小学校の子ども会などのいろいろな団体や企業、有志の方々が大イノコ祭りを支える市民の会として運営に携わっている。
それぞれが得意なことを持ち寄り、教え合ったり折り合いをつけたりしながら祭りを作り上げる。祭りに訪れる人々は、非日常の雰囲気のなかで飲食や娯楽を楽しみながら、同じ時間を過ごすことができる。
祭りは器である。
手しごとや道徳観の伝承の場であり、地域の方々がゆるやかに交わって関係を築く場である。祭りには多種多様な人々が集い、地域のコミュニティを成熟させる良い機会になる。もちろん成果が表れるようになるには、子どもの成長を見守り喜べるような、お互いの老いを愛おしめるような年数が必要だ。
残念ながら大イノコ祭りはコロナ禍により昨年と今年は中止。
来年の祭りは3年ぶりということになる。どのような人が集い、ゆるやかに交わっていくのか、とても楽しみである。

カンボジアに繋がりをいただいたのは 2014 年。
小学生のころから漠然とカンボジアの教育や地雷撤去に関わりたいと思っていたので、長年の思いが少し実ったということになる。私はクメール語が全く話せないため、企画は「言葉のいらない交流会」として、孤児院や小学校の子どもたちに絵具や画用紙などの画材とサッカーボールを届けて交流した。
絵を描く活動では、画材の基本的な使い方や混色について学んだあと、自分の感情を抽象的に表現したり、心象風景を描いてもらったりした。そもそも画材が身近になく、初めて絵具を使う子どもばかり。
絵具を混ぜて色が変わることに驚く純粋な反応は嬉しかった。
サッカーの活動では、サッカーの基本練習に加えて、日本の体育の授業でも行われている体つくり運動なども取り入れている。

2017 年には、広島に所縁のある“ひろしまハウス”でも交流会を行うことができた。ひろしまハウスは、貧困家庭の児童を対象に無償で教育と給食の支援をしている施設である。私は、これからの社会を担う子どもたちには“身体性の伴った想像力”を育んでほしいと思う。自分を取り巻く環境を解釈し、より良い社会を創造していくことに繋がるからだ。

私が比治山にアトリエを移して3年になる。
広島市街地中心まで 10分もあれば着いてしまうような立地で、自然も多く残っているのが魅力だ。そこで、“野外美術舎”という自然の中で絵を描く教室を、少人数制でのんびり進めている。自然の中で心を開き、感度を高めて環境と向き合い、世界を解釈していくのである。
ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの提唱した環世界から、改めて世界を解釈していくのである。

私は、私のまわりにいる人たちと共にまちをつくっている。
日々を丁寧に暮らしながら、お互いの“ありがとう”が届く範囲の人たちを大切にして活動を続けていきたいと思う。

まちづくりひろしま第56号(令和3年11月15日)