略歴:1941 年、広島市生まれ。爆心地より 4.8km で被爆。
1971 年デンタル・ラボラトリー開設。
1988 年広島県歯科技工士会会長。
2008 年 NPO 法人HPS 国際ボランティア入会。
2014 年旧陸軍被服支廠の保全を願う懇談会事務局長。
取材場所はリニューアルオープンした平和記念公園レストハウス 2 階の休憩室。内藤氏がピースボランティアとしてガイドしている馴染みの建物という。
☆ これまでの軌跡
広島市生まれ、3 歳の時に原爆が落ちたが、黄金山にさえぎられて被害はなく、被爆時の記憶は薄い。
定時制高校を卒業し、歯科技工士(入れ歯作り)としてラボラトリー開設。その後、県の歯科技工士会長に選任される。
規制緩和の流れの中で医療保障制度の改革が求められ、出版社から本の執筆打診があった時、必要に迫られ広島大学法学部で法務コンサルタントを学ぶ。さらに大学院社会科学研究科に進み、新たに医療経済学ゼミを創設してもらい、修士課程を修了。
☆ ピースボート船旅で世界一周
2008 年にピースボート船旅で 4 ヶ月かけて 24 か国を巡ったことが大きなエポックとなる。広島・長崎の被爆者 100 人が招待され、寄港した地で被爆証言などの活動を行うのが目的。同船者にサーロー節子さんや後に行動を共にする中西巌氏(旧陸軍被服支廠の保全を願う懇談会代表)とNPO 法人 HPS 国際ボランティア理事長の佐藤廣枝氏がいた。
一般乗船客も 800 人位おり、当初は被爆者と同船することを迷惑がっていたが、船内活動としてサロンで希望者に被爆の話をするうちに段々広島・長崎を学ぼうという機運になった。
☆ NPO 法人 HPS 国際ボランティア
ピースボートの経験を活かして平和活動に関わりたいと思い、佐藤氏に誘われて HPS 国際ボランティアに入会。HPS は平和記念公園の慰霊碑で毎年元旦から成人の日まで一人一輪千人献花を行ったり、公園内の碑巡りガイドをしたり、被爆体験絵本や平和学習本を出版。また個人的にはヒロシマ平和学習講師として修学旅行生や市内の小中高校生に被爆の実相などを解説。
☆ 旧陸軍被服支廠の保全を願う懇談会
ピースボートで知り合った中西氏は 15 歳の時、勤労学徒として被服支廠で勤務中に被爆。元気なうちにこの建物の保存の目途を立てたいと思い立つ。中西氏から協力要請があり、2014 年に旧陸軍被服支廠の保全を願う懇談会を設立。
被爆建物としてだけでなく戦前の軍需工場としての日常生活、被爆直後の臨時救護所、その後の運送会社の倉庫など、被服支廠の歩んだ歴史を後世に残すため講演会や見学会等を行う。
☆ 旧陸軍被服支廠に関わる最近の動向
昨年 12 月に広島県が 1 棟外観保存、2 棟解体案を公表して以来反対運動が起こる。ニュースが全国区となり、多くの人に建物の存在を認識してもらう。保全を願う懇談会も解体反対の署名活動を行い 1 万人弱の署名を集める。学生グループもウエブ署名で約 3 万人集めている。
県も各団体の解体反対の要望を踏まえ、今年度の実施を見送る。国会でも代表質問で取り上げられ、自民党の議員連盟も保存の働きかけをしている。
CNN(アメリカ)や BBC(イギリス)など海外メディアからも取材があり、加害者の立場である軍需施設の保存として注目。被害者の立場の原爆ドームと合わせて広島の歴史ととらえている。
保存が最終目的ではなく、活用策も考えている。原爆資料館の倉庫に保管されている資料の展示館、原爆文学図書館、1 棟は現存保存、1 棟は模様替えしてホテルなどのパブリック利用等の案がある。課題は財源で地道に募金集めをし、文化財に指定されれば国からの補助も出る。
☆ これからの抱負
HPS の活動をベースに被服支廠の保存運動にも関わっていく。カメラが趣味で今年も「写真集・ヒロシマ 75 年目の証言」を自費出版。自分の守備範囲での情報発信をしていきたい。
*コメント*
自分の好きな道をマイペースで歩むことができる人生の達人の一人に出会えた気がした。
聞き手:編集委員 前岡智之、瀧口信二(文責)
第49号 (令和2年9月15日)
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