染織作家 片島 蘭
私有地の小道にある古本屋さん、暑い日はアイスクリームが乗っているコーヒーフロートを 飲んで、ギリシャ神話の本を買って帰る。フルーツ屋さんで桃を買い、映画館で外国の映画を 見る。「おかえり」と言ってくれるお酒屋さんで、広島の地酒を空になった水筒にテイクアウト。朝8時から夜8時まで、街を見守っているタバコ屋さんは、今日も誰かに夢を売る。 朝一に広電の花壇に現れるおじさんは、駅前広場の掃除と水やりを毎日するボランティア。
東京オリンピックから毎日焼き続けているおばあちゃんは、お好み焼きを頬張る私の横で、女 子高生の時に被爆した話をする生き証人。一人一人に毎日物語があって、ゆっくり交差してい く街。深夜まで鳴り響くサラリーマンの音痴な歌声、お姉さんたちの合の手、酔っ払いたちの 心から叫ぶ声は、コロナ渦で少し静かになりつつある。ずっと工事していた高架下が終わり、 ガラス張りの現代的な道へ変身した北側は、半分まだお店が埋まっていない。
車でさっと通りすぎるとわからない、歩くスピードで見えてくる、この街の日常。この場所で、商売をしている人々は一国一城の主人でありアーティストだ。
商店街事務局で行われる会議は、奇想天外な発言でも、否定もバカにもせず、それを膨らませて、現実できる形にしていく。年も男女も関係なく、それぞれの専門で出来るちょっとしたパワーと相互協力でイベントをしている。
景気や社会の大きな波にぶつかり、乗り越えながら、毎日まちをつくっている。子供達はそ んな本気で遊ぶ大人たちを見ていて、大人になったらきっと真似をするのだろう。今の大人が そうであったように。
私はこんな街にアトリエを構え、染織・アートプロジェクト・デザインを仕事にしている。 なぜ、そんなお金にならないことをするのか不思議がられるが、2011 年に後ろから車に追 突される原付バイクの事故にあって以来、20 分後に死ぬこともあるのだと実感して、毎日好 きなことして生きたほうが、後悔なく終われると思っているからだ。ちょうど地震や津波があ った年で、死が間近に感じられ、頭のネジが一つ外れたのだろう。
大学卒業後も制作を続けたいと思っていた 2015 年、同じ大学の先輩に声をかけられ、横 川創荘というシェアアトリエを借りることになった。それが横川とつながる最初のきっかけで ある。現在では、この街に住み、個人アトリエを構え、商店街の人々たちと一緒に活動をして いる。10 月 1 日〜31 日は「横川商店街劇場 2020」のアートプロジェクトを行う。ぜひ足 を運んで頂きたい。
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